<ゲームデザイン論>
ゲームが複雑になって、ゲーム離れが叫ばれる昨今。
複雑に見える理由のひとつがコントローラーのボタンの多さ。
昔のゲームはボタンも少ないのに楽しかった。それは単純なゲームだったから、という理由だけではない。
それは、少ないボタンでも楽しめるように「デザイン」されていたからだ。
確かに、昔のゲーム機に比べ最近のゲーム機はボタンが多い。
ファミコンのときは(十字ボタンを除くと)ボタンは4つ。
新しいハードがでるたびにどんどん増えていくボタンの数。
スーパーファミコンでは背面にL,Rボタン、表面にX,Yボタンが増えて一気に8ボタン。
セガサターンでは2D格闘ゲームの人気を受けて表面6ボタン仕様の全9ボタンに。
64では9ボタン仕様+アナログスティックが加わる。
プレステ2のデュアルショック2に至ってはアナログスティック2本とそれを押し込むことで使えるL3、R3ボタンまで登場し、
全ボタン数は12個!(十字ボタン除く)
そして、その12個のボタン全てを使用するゲームも少なくない。
これじゃぁ、これからゲームしようって人にとっては敷居が高いわ。
わざわざ複雑な操作をおぼえなくったって楽しめることは世の中にたくさんあるからね。
昔からゲームをしている人にとっては今のボタンの数は何の抵抗も無いだろうけど、ゲームをしない人やゲームから離れてしまった人にとっては思いのほか抵抗があるみたい。
普段ゲームをしない人がゲームをするのを横で見てて、つい
「はい!今のタイミングで△ボタン!」てなアドバイスをしても、
「△ボタンってどこ!!」って逆ギレされることも間々ある。
DSやレボリューション(仮)で任天堂がやろうとしていることは正しいと思うよ。
「スーパーマリオ」のAボタン
ボタンが少ないころのゲームは出来る事が限られたのかと言うとそうでもない。
「スーパーマリオブラザーズ」の
Aボタンの役割って何かご存知だろうか。
もちろん「ジャンプ」だ。Aボタンを押せばマリオはジャンプする。
でもはたして「Aボタンを押す」という行為は「ジャンプ」することだけだろうか?
実はここにこそ「スーパーマリオ」の優れた「デザイン」を見ることが出来る。
「スーパーマリオ」の中では「Aボタンを押す」という行為が実は様々な動作を引き起しているのだ。
<Aボタンで出来ること>
移動のための「Aボタン」
「Aボタン」でジャンプするのだから、当然ジャンプして高い足場に上るという移動手段として使うことが出来る。
そして、穴を飛び越えるときも「Aボタン」。
海のステージで「泳ぐ」のもやはり「Aボタン」。
ステージクリア時、ポールにつかまるのも「Aボタン」だ。
アイテム取得の為の「Aボタン」
空中のコインを取るのも「Aボタン」。
そして「?ボックス」にあるアイテムを出現させるのも「Aボタン」。
隠し金庫のコインを出すのも「Aボタン」。しかも連打。
壊す為の「Aボタン」
スーパーマリオになっていればブロックを突き上げて壊すことが出来る。
そんなときにもやっぱり「Aボタン」。
敵を倒す為の「Aボタン」
「スーパーマリオ」で敵を倒すとき通常は上から敵を踏みつける、もしくは、下から突き上げればいい。そのときも使うのは「Aボタン」だ。
おわかりだろうか。
全て同じ動作なんだけれど、その行動のもたらす効果が違うのだ。
プレイヤーは「Aボタン」を押しているだけなのだが、場面に応じて様々な動作を行うことが出来る。
「スーパーマリオ」は
「Aボタン」だけで主要動作を全て行うことが出来るのだ。
「移動手段」のみならず、「アイテム出現」、更には「敵を倒す」ことまでを「Aボタン」1つで実現している。
同じように、1つのボタンで複数の動作をさせるのは、「ゼルダ」シリーズにも見ることが出来る。
例えば、「ブーメラン」。これは攻撃としても使えるし、アイテムを手繰り寄せることにも使える。
「ファイアロッド」もそう。炎で攻撃することも出来るし、「明かり」として使うことも、木を燃やすことも出来たりする。
「時のオカリナ」以降のゼルダでは「Aボタン」が「アクションボタン」という使われ方をしている。これはその場に応じた動作が「Aボタン」に割り当てられる。というもの。
このように、1つのボタンに複数の役割を持たせることで、
操作を複雑にすることなく、プレイヤーに様々な動作をさせることが出来るのだ。
しかし、そんな「スーパーマリオ」シリーズも数を重ねるうち、どんどん複雑になってしまった。「スーパーマリオサンシャイン」に至っては、“売り”のポンプアクションが操作の複雑さを生み出してしまっているようにも思える。
しかし、「スーパーマリオ」最新作のニンテンドーDS用「NEWスーパーマリオブラザーズ」は操作が初代に近い、簡単なものとなっているらしい。
「懐古趣味」的なものでなく、どのあたりが「NEW」になっているかも楽しみなところだ。
そして、任天堂の言う「だれもが楽しめる」新しいゲーム機、「レボリューション(仮)」がもたらす「複雑でない操作」も非常に楽しみだ。
現状打開の「革命」が起こせるだろうか。
※
「ゲームのマボロシ」さんにこのあたりのこと詳しく分析されています。(2005年5月28日の記事)